忙しい毎日が続いています。年度末、繁忙期の忙しさとはまた違った種類の忙しさです。ムーアの本ではないですが、仕事にもいろいろあります。既存事業のパフォーマンスをあげる努力もあれば、枯れた仕事の生産性をあげる仕事もあるし、それとは別に変革、改革の仕事もあれば、いわゆるインキュベーション的な仕事もあります。
藤原正彦氏の新刊「国家と教養」をやっと読み終えました。積ん読解消の一環です。
2005年のベストセラー「国家の品格」の続編とも言えるこの本、現代に相応しい教養について述べているわけですが、普段、技術書籍やビジネスのチート本(と言ったら著者に失礼か...)ばかり手にとっている私には読み応えのある本でした。
著者は数学者ですが、人文的教養の大切さについて説いています。世界を支配しているアメリカが教養とは対極にある功利主義(自己中心的な考え方、幸福、快楽を良しとする...でよいのかな)であったことや、科学技術の驚異的発達などが、人文的教養を衰退させたと。とはいえ、教養礼讃ではなく、ドイツでも日本でも第一次世界大戦、第二次世界大戦では、知識層の教養が全く抑止力となりませんでした、とも語っています。
- 人間は論理的に考えるだけでは、物事の本質に到達することは決してできない
- 教養という座標軸のない論理は自己正当化に過ぎない
- 座標軸のない判断は根無し草のように頼りないもの
- 凝り固まった理屈の壁を突き破り、その場所にたどり着くための羅針盤が教養
- 人間にとって本当に大切なものは、論理を超えた場所に隠れている
これを自分はプログラムコードにすることはできない・・・汗。
論理不整合ともとれてしまう。ううう、一体、教養とは何なのか。
著者は思い切って教養の幅を広げていき、大衆文化教養をも受け入れるべきだ、とも語っていますが、これは腑に落ちます。結局、格調高い文化(当人がそう思い込んでいる)だけではなく、もっと広い視野を持って、それをも教養として受け入れなさい、ということでしょうか。権威主義に塗れて自由な発想を失ってはいけないんだろうな、と。
例えば私なんていうのは、なんでも四象限のマトリックスにしたり、ツリーにしたりして物事を整理します。でも、実は驚くようなムーンショットを飛ばすような人は、その四象限から飛び出たことをしている。いわゆるアウトライヤーというやつでしょうか。
では、そのアウトライヤーの人が四象限のことを知らないかというとそうではなく、しっかりと基本的なことを知ったうえで、誰も考えないような発想を産み出しているように思えます。
もちろん、そういう理屈を知らない若い人が突拍子もない発想で成功することもあると思いますが、それがユニークで面白いということを自ら感覚的にわかっているか、それを拾ってあげることのできる人が周囲にいる、また、そういったものを受け入れる土壌があるのだろうと思うわけです。
そんなこと無理だ、それはテリロジーではない、我々はベンチャーなどではなく、エスタブリッシュだ、という考えもあるとは思いますが、凝り固まらず、いろいろなものを受け入れて、成長していける組織であればよいな、と強く思った次第です。
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