不快感ないしは違和感を覚える強弁に対しては「キミの田舎ではそうなのかもね」と言って流しておけばいいと思います。レッテルという欺瞞に好んでまみれる人間はどこまで行っても本物にはなりえないのです。でも、まあ、上手いやつっているよな。
英語の落とし穴について。
日本人の英語下手を黄色い顔(さらにヤニで黄色い歯)のやつに延々と言われたことがありますが、これについては私も思うところがあります。確かに日本人が英語を得意としないのは大きなディスアドバンテージであろうと常々思っているのです。何故ならば、少なくとも最近の情報工学、計算機科学の最先端については英語に親しまねば、最先端に追従することが難しいからです。発表された技術に対し、英語を基本とした議論が深められ、英語で解説書が出版され、それを日本語に翻訳して受け取る。得てして翻訳の専門家と情報工学や計算機科学の専門家は、その得意とする領域を異とするものですから、中々、優れた翻訳にあたることが難しいのが現実だと思います。そうして英語に親しみのない技術者が立ち遅れることになるのも事実です。
もうひとつ。IT業界の彼方此方で見かける存在するやつです。英語「だけ」が得意な人間が、技術をおざなりに、そして、集団をなおざりに牽引すること。
遅れてるねぇ、シリコンバレーのトレンドは◯◯◯◯だよ、ってやつですね。
こうなると英語の苦手な声の小さい現場の技術者は無力です。で、よくよく調べてみると、そんなことはなかったりする。結果、優秀な技術者が適所に適材の技術を学ぶ時間を削って、声の大きなシリコンさんの尻拭いをすることになる。まあね、起業家として成功した英語の得意な人がITビジネスに口を出すならともかく、計算機科学に口を出すべきではないと思います。IT業界におけるイノベーションというのは、科学を推進するものではなく、基本的には横井軍平さんの「枯れた技術の水平思考」だと思います。
なので「まったくもって新しい」技術を採用した製品というのは、非常に稀であると。そゆこと。平気で「まったくもって」とやるのは、よほどの無知か、詐欺師なんじゃないかと思うんですよね。いや、まあ、意図してやってるわけではないと思いますけどね、って、なおさらタチが悪いか。自分も技術者の端くれなので、自戒しないといけないな、と思います。もっとも、「これはまったくもって新しい技術を搭載した至高の一品です」なんて、自分は言わないし、言えないですけどね。自分がするべきことは「まったくもって新しい」でもなく、計算機科学の話でもなく、製品紹介でもなく、課題解決の要件やそれらのツール(製品)がどのようにその要件を満たしているか説明することだと思っています。
そして、「プログラミング言語は洗練された英語」である論について 笑。これは●●●●に少しだけ関係ある人が某所でやらかしていたやつ。あれ、おまえの知人じゃない?と知人に言われて「知らん」を貫きとおしたことを思い出します。まあ、英語話者にとって読みやすいプログラミング言語を開発しようとする動機は古くはCOBOLから始まります(たぶん)。その目的は開発者にはロジックの記述に集中させるということにありました。これらは高水準言語と呼ばれますが、決して新しいものではなく、連綿と続くこの世界の文化です。英語で要求や仕様を記述すると、それがプログラムに変換されるという研究もかつて盛んであり、それらはCASEと呼ばれていたことがあります。
高水準言語の設計思想にもよりますが、ある種の高水準言語を使うと「単価の安いエンジニア」でビジネスができます。外聞よく言えば「生産性が高い」ということになります。ですから、ITゴロ、もといITビジネスの起業家が、高水準言語を扱うインド人エンジニアを重用するのは自然でありますが、英語を公用語とするインド人だから優秀だ、日本人でありながら、日本人は駄目だという、ご高説はまったくの暴論だと思いますけどね。ショウヒトが計算機科学を語ることに唖然としてしまう自分の了見の狭さが問題なのかもしれませんけど、やっぱムカつくんですよ。そして、これがユニバーサルな事実であるとか言われちゃうと、まいっちんぐマチコ先生なのです。
追:
次はショウヒトの考える生産性について書きたくなってきた・・・
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