悩みを超えて敗北感まで感じる今日この頃。
続きです。
ぶっちゃけ、15年選手、20年選手はもう変われないと思います。「変わりたくない」という心の中の自分を客観的に認知する作業から入り、ある程度のストレスを覚悟して一歩踏み出す勇気と実行力を持たない限りは変われない。そう思います。
なので、チェルシーはあげません。
で、前回のウェブ・アプリケーションの話に戻りますが、CGIでもいいと思いますよ。機能要件、非機能要件を満たせば。だけど、CGIじゃ足りないなって話が少しずつ出てきて、それは例えば、Process forkのオーバヘッドだったり、標準的な開発用ライブラリの不足だったり、そしてこれらが最終的には開発の受発注のリスクに関係していたり。
繰り返しますが、CGIで充分ならCGIでよいと思います。不便を感じてないんなら、それでいいんじゃないかな、とも思います。ただ、若い世代に生き残る術としてのITの話をするなら、CGIにはどんな問題があって、それで世の中はどう変化したかっていうのを教えてあげないといけないな、と思ったりもします。そうじゃないと最新の技術で過去の問題を再発させるかもしれないので、それは避けてあげたいですよね。
でも、それって下手をしたら、ただのお節介であって「自分で学ぶ機会」を奪うことになるかもしれない。やらされてる感を植えつけるだけの仕草かもしれません。
ラーニングコストの高い、芯になる技術を、短い時間で教えてあげるのが理想だけれど、では、自分がそのような最短距離を歩んできたかというとそうではない。下手すりゃ三日に一回挫折してきたわけで、それはいまも同じです。まあ、悩みの質は年々ひどいものになったと思いますけどね 鬱。
学校を卒業してきた若い子が期待を胸にテリロジーに入社して、中堅、ベテランが進む道を示し、プリンシプルを見せてあげるのがベスト。理想はそう。でも、そうじゃないのです。そうは上手く行かないのです。油断すると永遠の見習いで手許作業の世界じゃないかと思います。うーむ。
この世界は一瞬100mのリードを作ったとしても、それを何年も守るなんてことはできない。5m、4m、3m・・・リードが小さくなってきたら、また新しいことに興味を持ち、身につけないといけない。
で、具体的にどうしていくか。ある程度の基礎に関する本読みは各自で済ませるとして、そして輪講やエクストリームリーディング形式の読書会をしながら前に進む。これはこの数年やってきたことではあるけれど、またやる。根気強くやる。
まずはこれだな。
早速、企画しなきゃいけないな、おし。
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